こんにちは、くすりやです。
荒木弘行氏の 自分の頭で考える読書を引き続き紹介いたします。
今回は2部構成の後編となります。
前編では
本の余白を楽しむこと
問いと答えの構造を知ること
本の読み方
について紹介してきました。
こちらの記事が前編となります。
前編に続き「本とどう付き合っていくのか?」というテーマを解説していきます
変化の時代に、道が拓かれる「本の読み方」
著者:荒木弘行
出版社:日本実業出版社
「必殺読書法」のような奥義は存在しない
しかし、その悩みを冷静に考えてみると、いわば「必殺読書法」のような奥義を求めているように感じます。「どこかに、自分の人生を変えてしまう読書法があるはずだ・・・・・・」と。あらかじめ言っておきますが、残念ながらそんな必殺技はありません。自然体に読みたいように読む。これしか答えはありません。
第4章 「読書の病」を治療しよう より
当ブログでも読書術というカテゴリで書籍を紹介しています。
確かに読書術というジャンルでいえば、速読本を始めとする読書メソッド本は数多く存在します。
私自身そういった本をいくつも読んで思ったことは
この方法は他の本でも言っていたなぁ・・・
という事だったり
こういう考え方もあるんだなぁ・・・
と、「復習時々新発見」といった感じでした。
当たり前では?
と思われるかもしれませんが、前編で紹介した「既知のリマインド」と「新たな答え」と言えるでしょう。
私の経験上
著者が一番訴えたい点を見定める
アウトプットを繰り返す
といったことはある意味で必殺読書法となるのかもしれません。
ただしこれらの手法は色々な書籍で言われていますので、「必殺読書法」という大げさなものかと言われれば違う気もします。
私自身の読書の目的はざっくりと言えば
知識を深める
視野を広げる
既に学んだことを補強する
となりますが、そもそもの前提として楽しもうという思いあります。
著者も述べているように
自然体に読みたいように読む
そんな力まないような心構えで本と向き合うのがいいのではないかと思います。
「読書の病」を治療しよう
本章では、力みすぎた読書をめぐる問題を「病」と称し、典型的な5つの病とその治療法について整理してみたいと思います。まず、最初に5つの病を言っておきましょう。
第4章 「読書の病」を治療しよう より
本書では力みすぎた読書をめぐる5つの問題点を「病」として解説しています。
すなわち
完読の病
コミットメントの病
積読の病
実践の病
読書時間不足の病
いずれも陥りがちな「病」ですのでひとつずつ見ていきましょう。
完読の病
「一度読み始めた本は、必ず最初から最後まで一字一句読まなくてはならない」と思い込んでいる人は、多いのではないのでしょうか。
第4章 「読書の病」を治療しよう より
一度買った本に対して
「折角お金を出したんだし・・・」
と、頑張って読みきったという経験がある方は多いのではないのでしょうか?
元を取ろうという意気込みもあるでしょうが、本にも相性があるのでこれは合わないなと思ったらスパっとあきらめることも必要となります。
ただし、
タイミングが合わなかった
ということも充分にあり得ます。
基礎知識が充分備わった上での応用本だったり、うまくいっていないときに読んでこそ意味のある本だったりと読書体験は適切なタイミングで巡り合えてこそ意味を持ちます。
まずは手に取って著者が言いたいことを要約している序章や目次を読んでみて感触を掴むのがこの病を避けるコツと言えるでしょう。
たとえこの本は今の自分に合わないなと思っても、時間をおいてからまた目を通すと以前とは違った印象になるかもしれないので、概要だけでも把握しておくといいでしょう。
コミットメントの病
これは、1冊の本を手に取ったら、その本「以外」は読んではならない、という思いに囚われている読書です
第4章 「読書の病」を治療しよう より
手にした1冊を読み込むということ自体は悪いことではないでしょうが、一般的に実用書は色々な本を参考あるいは引用されて構成されています。
著者が引用した内容を深く知りたいのであれば引用元の書籍を読み込んだ方が理解が深まるので、手にした1冊以外を読んではならないという固定観念に囚われる必要はありません。
個人的には他の本に手を伸ばせなくなると窮屈な思いをしてしまいます。
読書をするにしてもエネルギーが必要となるので、疲れているときに難しい本を読むのは大変です。
そんな時は「既知のリマインド」、すなわち過去に繰り返し読んできた本のおさらいなどをするとちょっとした気分転換になります。
言ってみれば、今の自分のコンディションにあった本を読むことの方が重要かと思います。
積読の病
積読とは、買った本が未読のまま積んだままになっていること。つまり、「本を読みたいと思って買うけれども、読む時間がとれなくて、読んでいない本がどんどん溜まっていってしまう。どうしたらいいか・・・」という悩みです
第4章 「読書の病」を治療しよう より
面白そうだなと思い、つい手を伸ばしてしまったけどなかなか読む時間がとれず積まれてしまっているという経験がある方も多いでしょう。
著者は積読の状況に対して後ろめたさや焦りを感じる必要はなく、「積読を肯定的にとらえる」ことを推奨しています。
著者も
「積読の病」とは、病ではありません。積読を悪いことと思い込んでしまうことこそが病の正体です。
第4章 「読書の病」を治療しよう より
このように述べています。
つまり、
積読本=伸びしろ
と考えることです。
積読を抱えてお悩みの方も元々、興味、つまり好奇心があって手をのばした本なのでしょう。
何かを知ろうとする欲求は成長するために不可欠なものですし、その好奇心を忘れてしまうのはもったいないことです。
ただし、「鉄は熱いうちに打て」という格言のとおり好奇心が強くなっているときこそ本と向かい合うチャンスなのであまり後回しにしない方がいいでしょう。
実践の病
せっかく本を読んだのだから、それを実践しなくては・・・・実践してこそ読書である、という考えを持っている人もいるでしょう。それが「実践の病」です。
第4章 「読書の病」を治療しよう より
ビジネス書や自己啓発本などは行動変容を促すことを目的にしているものが多いでしょう。
実際、「7つの習慣」(著:コヴィー)を始めとする習慣をテーマにした本は、正に日々の行動を積み重ねていく大切さを説いた書籍と言えます。
但しそれだけが読書の楽しみ方でしょうか?
確かに実践法の知識だけを増やし、実践できなければいわゆるノウハウコレクターになってしまい褒められたものではないでしょう。
しかし、難解な本など後になって理解を深められるものもありますし、すぐには理解、実践出来ないからこそ「問いの発見」につなげられるものもあります。
前編の記事でもお伝えしましたが、「問いの発見」は自分を次のステージに進めるためにとても有効です。
「読んだら即実践」しないと・・・
と自分を追い込まずに、「問いの発見」、「答えの発見」、「既知のリマインド」のバランスを考えた読書習慣をもつことが読書を楽しむ秘訣かなと思います。
読書時間不足の病
時間が足りない!と嘆く「読書時間不足の病」です。
中略
多くの人は、「時間があれば読書ができるのに・・・」と言っておきながら。時間があっても読書をしないということに!
第4章 「読書の病」を治療しよう より
今は魅力的なコンテンツがあふれているため、読書以外に時間を使いたいという方も多いでしょうし、優先順位も異なるでしょう。
しかし全ての行動は究極的にはやるかやらないかの2択になります。
読書術をテーマとした様々な書籍において移動時間や休憩時間などのスキマ時間を利用したり、電子書籍を用いてどこでも読めるようにするなど読書をするための手段が紹介されています。
全く読書をしない人と1日数ページしか読めない人でもその差は大きく広がっていきます。
この「病」に関しては、
時間が足りない!
と嘆く前に自分の生活パターンを見直すことの方が大事ではないでしょうか?
「読書が役に立つ」とは、どういうことか?
「読書が役に立つ」かどうかと言われれば私は全力で肯定します。
読書を通じて新しい知識の獲得、既知の復習を通じて自分の世界を広げられると信じているからです。
しかし著者はこのように述べています。
しかし、そのフェーズをすぎた後、答えは「役に立つかどうかなんてわからない」、もしくは「役に立つかどうかという『問い』に意味はない」というものにかわっていきました。
その真意としては、「何かの役に立てようとして本を読んでいるのではない」という感覚が強くなってきたことにあります。つまり、「実践の病」で語ったように、「ビジネス×短期的に」役立たせることを目的にした読書は、本そのものの価値を変質させてしまうのではないか、と感じるようになったのです。
第5章 「読書が役に立つ」とは、どういうことか? より
例えばある画期的なアイデアをまとめた本があったとします。
これに対して称賛する人もいれば現実的ではないと批判する人もいるでしょう。
今まで考えられなかったようなアイデアであるが故に、実績も何もないのですから。
今すぐ役に立つのか?
と言われれば保証できるものではないですよね?
しかし、長い目で見て将来的に有用であれば
役に立たない
と断定できるものでもありません。
そうした観点で見ると本を取ったときに
この本が役に立つかどうかという問いに意味はないのかもしれませんね。
「本を読む」とは、自らを生きるということ
かつてショーペンハウアーは
「多読は人を愚かにする」と言い切りました。
これの意図するところは
他人の考えを押し付けられ、自分の持つ「精神のしなやかさ」が失われてしまうことを危惧してのことだったのでしょう。
確かに読書は著者の思想に触れるのに手軽で有用な手段です。
しかし、
貪るように読んで思想が支配されてしまい自分の頭で考えられなくなってしまわないように戒めよ
という教訓と考えれば含蓄のある言葉と言えるでしょう。
経済学者である内田義彦氏の言葉ですが
「本は読むべし、読まれるべからず」
とはうまく表現されたフレーズだと思います。
では「本を読む読書」と「本に読まれる読書」との違いは何でしょうか?
著者は
「熱狂と懐疑のバランス」
これに答えがあると論じています。
熱狂:その本に対して共感・納得している状態
懐疑:その本に対する違和感や不安感、疑問などを感じている状態
ここでポイントとしているのが
熱狂7割・懐疑3割
くらいがちょうどいいとしています。
熱狂10割では洗脳状態にありますし、懐疑10割ではネガティブな感情に陥ってしまいます。
3割程度の懐疑であればそれはもっと知りたい、追求したいという欲望に変わり次の活動の原動力になります。
またこの懐疑3割は自分で考える割合とも言えるので「本に読まれない」ための、セーフティーネットにもなります。
懐疑することを忘れずに自分の頭で考えながら読書に臨むことができれば、ショーペンハウアーが指摘した「多読は人を愚かにする」という点に対しても反論できるかもしれませんね。
そのためにも、懐疑、すなわち「問い」を抱え、育てることを続け、その問いに対する「答え」を見つけようと努力していく姿勢が大事といえるでしょう。
「本を読む」という行為は、「生きる」ということと相似形だと思っている
第6章「本を読む」とは、自らを生きるということ より
このように長いスパンで考えると何のために読書をするのかと考えると、目先の知識を得るためという短期的な目的だけではなく、自身の人生の方向性といった長期的な目的も考えられますね。
〇まとめ
今回紹介した書籍は2部構成となりました。
後半では
読書の病
読書が役に立つ
本を読む
この3点を紹介いたしました。
本を読むにあたって「必殺読書法」というものはなく、自然体で本と向き合うことと、「問い」を抱えてその「答え」を見つけようと努力することが大切と再認識させてくれる一冊でした。
本書を通じて本との付き合い方にお悩みの方の助けになれば幸いです。
今回は以上となります。
それではまた次の記事で!
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